【取材記事】移住者の福島千枝さん(琉球舞踏) [はいさい!沖縄デュアルライフ]
2021/09/14(火) 10:00
移住者の福島千枝さんへのインタビュー

Q1:故郷の大阪から沖縄へ移り住んで15年ということですが、まずはどのような経緯で移住されたのか教えてください。

今思うと、16歳のころ初めて沖縄を訪ねたことがすべての始まりでした。大好きなシンガーCoccoさんの沖縄限定CDを買いたい一心で、一人旅に出かけたんです。通販もあったんですけど、Coccoさんが「できれば自分の足で沖縄を歩いて、お店で手に取って買ってほしい」と話していたのを聞いて、これは絶対沖縄に行くべきだ!と。那覇空港に到着して外に出た瞬間、見上げた空が真っ青で、なんて空が近いんだろう!と感動しました。海も、これまで見たことないくらいめちゃくちゃきれいで「竜宮城みたい!」とびっくりすることの連続でしたね。それから沖縄が大好きになって、バイトでお金を貯めて年に一度は旅行するようになり、友達もどんどん増えていって。そんな中、あるとき知り合いから琉球舞踊の先生をご紹介頂いたんです。沖縄と大阪で教えていらっしゃる方で、お話してみたら偶然にも先生が大阪へお稽古に行かれる飛行機と、私が帰る飛行機が一緒だったんですね。しかも、大阪の空港から先生が向かわれる道場と私の家が同じ方向。それで、お迎えにいらしていたご家族の車に同乗させていただくことになり、せっかくなので、その足で道場を見学させていただき......もうここまでご縁が続くので、先生が「あなた、習いなさい」と(笑)。予期せぬ展開でしたが、大阪にいながら沖縄を感じられるのっていいなと、軽いノリで琉球舞踊を習うことにしました。ところがいざ始めてみたら、ものすごくハマってしまって。その後、沖縄で開催される「琉球芸能コンクール」新人賞を受けるため、半年間現地に住み、猛特訓を受けました。無事に合格した後は、大阪に戻る予定でいましたが、前から気になっていたユタ(沖縄伝統の霊能力者)さんに占ってほしくて訪ねてみたのが、また事の始まりで......。前世を占ってもらったら「琉球王国のうみないびだね。うみないびはお姫様のことだよ」と。そこで「私は琉球王国のお姫様だったんだ!」とすっかりテンションあがってしまって(笑)。「沖縄の大学で琉球芸能を勉強する!」と決意して受験勉強を始め、沖縄県立芸術大学の琉球芸能専攻琉球舞踊・組踊コースへ進学。2011年に卒業後は、大学院でさらに古典芸能「組踊」を学びました。当初はコンクールのため半年住むつもりがもう15年。なぜか沖縄の芸能にハマってしまって、ここまできてしまったという感じです。

Q2:沖縄に"呼ばれた"という感じですね。

そんなふうに思います。もともとロックが大好きで、アーティストになってその道に進みたいという夢を抱いていたんですけど、不思議と琉球芸能の魅力に引きこまれたという。人のご縁も大きいですね。沖縄でいろいろな方と出会えて、たくさん助けて頂いて。20歳の頃からこっちに住んでいるので、大人になってからの人間関係は沖縄で形成されていますし、暮らし的にも大阪より沖縄の常識に慣れ親しんでいると思います。

Q3: 大学院修了後は、どのような活動をされてきたのでしょうか?

3年間、首里城公園管理部のイベントと広報を担当する部署に勤務しました。とてもやりがいのある仕事でしたが、ものすごく忙しくて、出演したい琉球舞踊の公演があっても諦めなくてはならないことがありました。自分はなんのために沖縄に来たのか。改めて考えてみると、私は琉球舞踊をするために沖縄に来たんだよなと。それから、琉球舞踊を優先できる環境を作ろうと退職を決め、フリーの舞踊家として活動する道を選んだんです。流会派から抜けてフリーになるという選択は、さまざまな思いがあって決めたことですが、この業界はとても小さなコミュニティなので、当時はお仕事も頂けず、とことん孤独を味わいました。でも、少しずつ賛同してくださる方と出会えるようになり、お仕事も頂けるようになって。2021年2月には、自主企画で「琉球乙女は恋をする」という琉球芸能公演を実現することができました。それまで本当にいろんなことがあったので、毎日稽古を始める前から涙が止まらないほど、深くこみあげるものがありましたね。この公演は、琉球舞踊に馴染みのない方、同世代の方たちも親近感が湧くものにしたくて。会場は劇場ではなく、「ガンガラーの谷」の鍾乳洞が舞台、出演はあえて若手の女性舞踊家のみにしてキャッチーなビジュアルを打ち出したり、ふだんの公演とは違う見せ方を考えました。結果、お客さん方が喜んでくださってすごく嬉しかったですし、自分自身大きな山を乗り越えたような手ごたえを感じました。私のように外から来た人間にとっては、沖縄の人にとって当たり前のことも、すごく珍しくて魅力を感じるので、今はそういった視点を大事にしながら、外に向けて琉球舞踊の魅力を広く発信していく活動に励んでいるところです。

Q4:琉球舞踊は、沖縄に古くから伝わる伝統芸能ということですが、そもそもどのようにして生まれ、育まれてきたのか、歴史について教えていただけますか?

もともとは、神様へお祈りする際の手振りから始まったそうです。その後、琉球王国時代に、中国から訪れる皇帝の使者「冊封使」をおもてなしするための歓待芸能として、古典舞踊の組踊が披露されるようになりました。当時は、一般庶民の前では演じられることのない宮廷芸能だったんです。演じていたのは公務員として雇われた士族だったので、王府が亡びた後、彼らは給料がもらえず、暮らしていけなくなりました。そこで今度は町に下り、優雅な組踊とは違う庶民たちの感覚に合わせた新しいスタイルの芸能を生み出すことに。それが明るく賑やかな雑踊です。琉球王朝時代の古典舞踊、王朝亡き後の雑踊、戦後に作られた創作舞踊。主にこの3つの舞踊を総称したのが琉球舞踊ということになります。



Q5:福島さんが感じる琉球舞踊の魅力は、どんなところにありますか?

まずは、独特のしなやかな動きですね。琉球舞踊は、日本舞踊ほどやわらかくなく、お能ほどかたくない。ちょうどいい場所にある。大学の講義で、日本舞踊の先生がそう言っていたんですが、まさにそのとおりだなって。形はしっかりあるけれど、それぞれの個性も出る。形の範囲内で余白が残されているおもしろさ、それゆえの難しさがあります。それから、舞妓さんだとお客様に目線を配りアピールすることがあると思いますが、琉球舞踊は直接お客様に目線を投げかけないので、どこも見ていないような、どこを見ているんだろう?という不思議な表情も魅力的ですね。衣装でまとう琉球絣や紅型などの着物も、大きな魅力。沖縄の織物、染物は世界に誇れる高い技術があります。琉球王国時代、王府に納めるために作られてきた歴史があるので、最高のものを求められ、必然的に技術が発達したんですね。そういった沖縄文化のいろんな粋を集めたものが琉球舞踊なのかなと思います。



Q6: 芸道の段階を表す言葉に「守破離」というものがありますが、福島さんはご自身の道と照らし合わせてみて、いかがでしょうか?

今まさに「守破離」を実感しています。琉球舞踊の道場に通い始めたころの私は、エネルギーがぶわーっと放出されている状態で、すごくわがままだったんですね。沖縄は調和を大切にする島なので、まずはそういう部分を抑える訓練をして、いろんなことを学びました。それが守るという段階。その後、自分で勝手に決めてしまった縛りから解き放つんだって動き出したのが「破」。今は、それさえも離れて、客観的に自分の立ち位置を見つめ、愛と調和を伝えるにはどうしたらいいのかを考える段階なのかもしれない。改めて振り返ってみると、私の人生は「守破離」という考え方になぞらえたものだったのかなと思います。



Q7: では、15年沖縄に暮らしていて、こういうところが好きだなと感じるのはどんな部分ですか?

まずは、自然が近いことですね。車で少し走ったらこんなに美しい海があって、素晴らしい環境だなと思います。それから、考え方がちょっとゆるやかなところ。そんなに頑張らなくていいじゃないっていう。生真面目すぎる日本の風潮は、たまに辛くなっちゃうことがあると思うんですが、沖縄はそんなに縛るものがないというか。これは、きっと人によって合う合わないがあって、のんびりでも「こういうことがあっていいか」と許せる人は、魅力的に感じる部分だと思います。あとは、コミュニティをすごく大事にする島なので、人と人との信頼関係が強いですね。「ゆいまーる」という助け合いの精神が根付いているので、困っている人はみんなで助ける土壌があります。私もこれまで、さまざまな場面でものすごく助けていただきました。

Q9:これから先、沖縄にずっと住み続けたいと思いますか?

私はもう琉球舞踊家として沖縄に骨をうずめる気でいます。もちろん必要があれば、世界中どこにでも行きますが、あくまでも拠点は沖縄に置いていたい。正直、自分でもここまでやるつもりはなかったというか、なんで沖縄に来たんだろう?って思い続けてきたんですが、いろいろなご縁を頂いて、たくさんの人に守って頂いて良くして頂いて、ここまで来ることができたので、最近いよいよ覚悟を決めました。琉球舞踊を通して沖縄を知ってもらう。自分にはそのお役目があると思うので、役目を果たせるようたくさんの人に魅力を発信する活動していけたら。テーマは、愛と調和。琉球舞踊が日本、世界と伝播していくと共に、愛と調和を皆さんに届けていきたいです。


福島さんありがとうございました。

福島千枝さんウェブサイトはこちら

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