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朝イチマーケットスクエア「アサザイ」

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半導体は「産業のコメ」呼ばれ、現代社会にはなくてはならないほどにあらゆるエレクトロニクス機器に使われています。技術の発展とともに使われる分野もたいへん大きく広がり、現代のエレクトロニクス業界においては実に多様な企業が半導体をもちいた製品を提供しています。

 3月19日放送の「アサザイ 今日の1社」は、エレクトロニクス機器の設計開発のパートナーとして多様な企業の発展を支える半導体商社、PALTEK(7587・東証ジャスダック・スタンダード)です!

 多様な製品・企業・ニーズ・・・。この現代において1社で全てを完結することは難しく、お互いの長所を活かし、足りない部分を補い合うことが必要です。今回ご出演いただいた代表取締役会長の高橋忠仁様は、かねてから企業理念としての「多様な存在との共生」を掲げてきまして、今回の収録での井上哲男との対話でもテーマのひとつとして語っていただきました。
 
 さっそく井上哲男から今回の取材後記が届きましたので、どうぞお読みください!

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取材後記

PALTEK(7587)東証ジャスダック・スタンダード

ラジオNIKKEIで収録。お相手は代表取締役会長の高橋忠仁様

 

「多様性」

 
▼急上昇ワード「生物多様性条約」

 中学入試の社会において、5年前までほとんど問われることがなかったものの、3年前からいきなり単語を答える問題で最頻出となったものがある。それは、「生物多様性条約」という言葉だ。

 「生物多様性」という単語は1985年に米国で生まれた。1992年の地球サミット(リオデジャネイロ)で条約として調印され、2010年に名古屋で行われた会議で名古屋議定書が採択されたことから大きく前進して現在に至り、前述のとおり"最頻出単語"にまでなった。出題される理由は「小学生としてこの言葉の意味を理解していて欲しい」ということであろう。日本には「京都議定書」と「名古屋議定書」という、世界に誇れる2つの環境に関する議定書がある。

 

 この「多様性」という言葉を、産業機器の方向性、その為に果たさなくてはならない半導体の使命として言い続けてきた人がいる。それがPALTEKの高橋会長である。それこそ、米国で「生物多様性」という単語が生まれるもっと前からである。

 番組の中でも述べたが、会社情報や四季報において卸売業に属する半導体商社の紹介文の多くは「~系半導体商社。~に強み」とごく簡略化されているものが多い。しかし、説明をひとことで済ませてはいけない業種というものがあり、その最たるものが半導体商社であると私は考えている。もっと、バッサリ斬ろう。ひとことで済ませて良い半導体商社と、済ませてはいけない半導体商社がある。そして、その判別は実は簡単にできる。売上高のセグメントで、民生電器やPCが大きい会社は前者であり、それ以外の、特に産業機器のセグメントが大きい会社は後者である。PALTEKは後者の筆頭である。さらに言うと、前者は卸売業であるが、後者を卸売業というセクター・クラシフィケーションに置くことに私は違和感がある。

 
▼日本の産業と多様性

 日本は多様性の国である。この多様性は食品ひとつをとっても海外からの引き合いの源泉となってきた。この10年あまり、香港において最も変化を感じるのはコンビニエンス・ストアである。キャンディー、ガム、飲料がどの店も数種類しかなかったものが、今は日本の多くの品で溢れ、店自体の作りも明るくなっている。この流れは、東南アジアでもそうだ。

 それでは製造業はどうであったろうか。乏しい資源、狭い国土という条件の下、労働生産性の変遷が、その産業構造を大きく変えてきたと考えられる。安価で優秀な製品を大量生産することが得意であった時代が終わり、東アジアの台頭で半導体、スマホなど完全について行かれない状態となってしまった。そして、現在は少量多品種で付加価値と社会貢献度の高い製品、つまり多様化へのシフトが求められている。しかし、多くのメーカーは価格戦争に対抗するため技術者を削減してきたがゆえに、スムーズに対応できない状況で苦しんでいる。

 しかし、PALTEKは従業員の三分の一以上の技術者を抱えて、メーカーの希望する製品を作り上げるための半導体のセットアップ(カスタムメイド)に努めてきた。よくぞ踏ん張ってくれたと思う。このことが日本のエレクトロニクス産業において持つ意味は大きい。その技術を活かして、メーカーのために設計・開発を行い、試作ボード、量産ボードの受託サービスまで請け負うことができる同社の「デザイン・サービス事業」は、売上げとしてはまだ占める比率は小さいが、「半導体事業」で技術者を切り捨てなかった同社の誇りが形となったものである。

 
▼屋久島に見える、日本の進むべき道

 高橋会長にずっと前から多様性を語らせたものは、故郷である屋久島の生物多様性であるように思う。収録前に会長が語ったのは、同社に写真が飾ってある縄文杉の話ではなかった。かつて大量に杉を伐採し、近隣火山の噴火を受けても現在の状態でいられるのはなぜかということであった。

 樹齢何百年の杉の下に生える、1年で生え替わる苔の果たしてきた意義、屋久杉というと大きく伸びた一本杉を思い浮かべるが、実際は1本の木なのに、たくさんの他の種類の木がそこから生えていたりする。

 そこに存在する全ての生物を意味する多様性。多様性のある自然だからこそ強く、何があってもその状態を守れるのである。屋久島の自然は、日本の進むべき道を教えている。そして、私も上場する3600社の多様性をきちんと説明していく。多様性を持つ自然、国、産業、市場は強い。

 
▼「はじまりの場所」、屋久島を想う

 私的なことで恐縮だが、私は文章を書く際に、実は一人の読者を強く意識して書いている。それは私が35歳の時に他界した父である。私は独身時代、多くの時間を父と語らうことに費やした。父の書いた文章や、趣味で父が作った俳句についてまでもよく語りあった。父の生前、私は日経新聞や日経金融新聞で週に何度もコメントが掲載されていたが、それはあくまでもコメントであって、文章という形で世に発表されたのは数回しかなく、父にそれを教えることも、意見を聞くこともしなかったことをずっと後悔していた。しかし、つい先日実家の整理をしていたところ、父の書棚から私の文章が掲載された雑誌がポロポロと出てきた。父は見ていてくれたのだ。

 父の最後の仕事は、教壇に立ちながら日本マングローブ協会の活動をすることであった。そのため、東南アジアと日本を行き来して、屋久島にもしょっちゅう長いこと滞在していた。

 「日本がここから生まれたのではなく、世界がここから生まれたのではないかという気持ちになる島だ」と一度だけその感想を聞いたことがある。そして、父の死後、島を訪れた妹が同じようなことを言ったので私はとても驚いた。私も行かなくてはと思いながら、まだそれは果たせずにいる。

 

何れ正式に発表するが、昨日3月18日に私は小さな会社を作った。設立後にラジオNIKKEIに来週分の収録に向かうと、ディレクターが封筒を持ってきた。封筒にはPALTEKのIRをご担当されている柴崎様のお礼の文章が貼ってあり、中には屋久島の写真集が二冊入っていた。夜中にゆっくりと見ていると、島全体を俯瞰した写真に小さな付箋が貼ってあり、矢印とともに「マングローブ林はここです」との文字があった。思わず涙が出た。最高の設立プレゼントである。この写真集を会社に置こうと思う。父は私の文章をずっと見てくれている。(了)

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 取材後記は、以上です。いかがでしたか?
 日本の半導体産業は、大きな時代のうねりの中にあります。その中を生き抜いていくには、やはり多くの企業との共生していける「しなやかさ」が必要ではないでしょうか。また理念という芯があってこそ、波を超えていけるのだと思います。

 今回のPALTEKはもちろん、多様性の中で磨かれていく日本の企業の将来が、楽しみです♪

 また来週の「今日の1社」もお楽しみに!

(関連リンク集)
■PALTEK 企業理念
■PALTEK 株主・投資家情報
■PALTEK 個人投資家の皆様へ 早わかりPALTEK

■オンデマンド配信 放送版・・・アサザイで放送された内容を再度お聴きいただけます。
■オンデマンド配信 ロングバージョン・・・放送版でおさまりきらなかったインタビューをお聴きいただけます。

代表取締役会長の高橋忠仁様(左)、総務&HRグループ課長の柴崎様(右)と。
代表取締役会長の高橋様、総務&HRグループ課長 柴崎様と。